「江戸の火消し」の由来と火消しの「も組」 
 うまいキャッチフレーズを考えつくというのは、大変貴重な才能だと思う。でなければ、わざわざライターとは別に存在する、コピーライターなんて職種は成り立たない。で、悲しいことに自分はその才能がなかったりする。

 以前から茂庭選手のダンマクがないことが気になっていた自分としては、
誰も作らないなら自分が作るか、というごく単純な動機で作り始めたのだけれど、土肥選手の“威風堂々”、石川選手の“Fly High,Nao!”のようにしっくり来る標語がどうも思いつかない。そこで、某巨大掲示板の茂庭スレに書き込んでみたのだった。

 ありがたいことに、いくつかよさそうな案も出て、そのうちのひとつに決まりかけたころ、誰かが
「江戸の火消し」を書き込んだ。ディフェンダーらしい、いいキャッチだなと思ってとりあえずgoogleで検索してみると、FC東京常務の村林氏のコラムがヒット。運命的なものを感じてこれに決定。

 当時、ネット上で「石川選手、東京に残って!」という署名活動が行われていて、茂庭選手にはどうやって「残ってほしい」というアピールをするべきか悩んでいた時期でもあったので、
“江戸の…”と入れることでそれをアピールできるかな、という意味もあった(けども、まぁ完成も遅かったし、遠まわしすぎてあまり意味はなかったかもしれない)。

 ダンマクには、せっかくだから江戸の火消しのシンボルである
纏(まとい)を書いて、頭の部分に「も」とか描くとオモシロイかなと思ったのだけれど、図版的にも時間的にも難しくて結局挫折。

ダンマクの最終的なデザイン。1×5mあるが、アマスタだと想像以上に小さく見えるため、補強中

 結果には結びつかなかったが、この纏の図版を探しているうちに、元祖江戸の火消し、つまり江戸時代の消防団、
町火消しのことに詳しくなってしまった。

「暴れん坊将軍」だの「遠山の金さん」だのの時代劇でたびたび登場する町火消しを整備したのは、これまた名奉行で有名な大岡越前
ったらしい。このとき享保5年、西暦1720年である。

 この火消しの代名詞と言えば「め組」だが、この名前が一文字なのは、火消しが隅田川の西側の町を47に区分けして、「い」「ろ」「は」の47文字を組名にしていたため。火消しは「め組」だけではなく、「い組」も「ろ組」も「は組」もあったのである(ただし、 「へ」「ら」「ひ」 の3文字は語感が悪いので、代わりに百、千、万 を使っていたらしい)。

 47文字すべてあるなら「も組」
があるのも当然で、その「も組」のまといには本当に「も」と描いてあったすごいぞ、実存したのか、も組!

 さらに調べていくと、纏と半天とのぼりはセットで、各組のロゴを大きく入れた独自のものを着ることで、火事場で見分けていたらしい。なんてこったい、その「も組」セット、激欲しい!! アマスタでも組の纏振らせてくれ!!

纏(まとい)は、火事場の屋根上で、目印代わりに町火消しが振る花形アイテム。左は実在した「も組」の纏。半天や、のぼりもあったはず。見、見たい…

 ちなみにこの「も組」が守っていたのは銀座町や数寄屋橋のあたり。一方、いまもFC東京の所在地である深川(猿江)は、隅田川の東側のため、いろは47区分とは別に、「一組」から「十六組」にわけてられていたらしい。このあたりが「も組」だったらもっとオモシロかったけれど、まぁ歴史にそこまでオチを求めてはいけないのだった。

                                2003.1.3  管理人 arata